20世紀格闘プレイバック

"初代タイガーマスク"
佐山聡


80年代前半、プロレス界に一世風靡した伝説のプロレスラーがいた。
タイガーマスク。劇画でおなじみのキャラクターだが、まるで、その劇画からそのまま出てきたような人間離れした動き。1981年4月23日蔵前国技館に於けるダイナマイト・キッド戦にて初めてのデビューだったが、その風貌はマスクのあまりのお粗末さに苦笑した。だが・・・
ゴングが鳴ると、その苦笑は驚きに変わった。すごい・・・
人間は鍛えればこんなにも動けるものなのだ。私は衝撃を受けた。私だけではなく、マスコミや格闘技界にも衝撃だったようで、日本中がタイガーマスクブームにのめり込み、所属していた新日本プロレスは空前の全盛期を迎えることとなる。
この初代タイガーマスク。現在ではその正体は佐山聡ということは周知の事実だが、佐山は1975年に新日本プロレスに入門、1976年に魁勝司戦でデビュー。
1977年11月14日に行われた梶原一騎主催の「格闘技大戦争」で、マーシャルアーツミドル級第一位のマーク・コステロと両者ボクシンググローブ着用・統一ルールの下、事実上の異種格闘技戦で対戦。何とかKO負けこそ逃れたものの、屈辱的な判定負けを喫した。佐山は打撃選手に手も足も出なかった事実に衝撃を受け、いかに打撃と間合いが重要であるかに傾倒し積極的に取り入れるようになる。
以後、1978年にメキシコに、1980年にはイギリスへ渡りブルース・リーの弟子こと「サミー・リー」のリングネームでマーシャルアーツスタイルのプロレスラーとして大活躍。帰国後はタイガーマスクとして四次元プロレスを駆使して大活躍。

だが、1983年8月10日、突如引退する。
1984年に第1次UWFへザ・タイガーとして参加し電撃復帰、後にスーパー・タイガーに改名。「実力NO.1」の称号を得るも、1985年、試合中の前田日明からの金的蹴りがきっかけとなり離脱。実際には金的に入っていなかったが、試合中、前田の尋常ならざる精神状態を懸念した佐山が、金的をアピールしてレフェリーに試合を止めさせたのが実情である。当時のUWFは、一層の競技化を進める佐山と興行面からそれに反対する前田らとが対立していた。
第1次UWF離脱後、シューティング(現・修斗)の創始者として日本の総合格闘技界をスタートさせたが、後にフロントとのトラブルのため、離脱。
1999年には掣圏真陰流を創設し、現在は「リアルジャパンプロレス」を旗揚げし、自らもリングに上がっている。
プロレスだけてなく、総合格闘技界にもたらした彼の偉業は賞賛される。
彼がもし、総合格闘技が゛認知された現在、選手として全盛期のころだったら、間違いなく大活躍していただろう。